「なんで勉強しないといけないの?」
子供に聞かれるとちょっとドキッとするかもしれません。
「将来の選択肢を広げるため」とか「夢を叶えるため」とか、そういう模範回答は思い浮かびます。
それも一つの答えだと思うし、勉強の大事な要素だと思います。
でも私は別の視点から答えるようにしています。
私が考える勉強をする理由は「周りの大人は君よりも早く死ぬから」=「自分で生きていくため」です。
勉強って大変ですよね。
ある日までに覚えるべきことを効率的に覚えていかなければいけません。
しかも自分のベストというより、他人と比較して高い順位を目指さないといけません。
辛いなって思わずに楽しんで勉強してもらえれば一番良いですが、部活や遊びの中で勉強が後回しになってしまうこともあると思います。
そんな時、なんで勉強しないといけないの?という疑問が湧いてくるのは当たり前ですよね。
それについて、私の主観を書いてみたいと思います。
勉強の理由
義務教育とは子供が将来自立して生きていけるようになるためのものだと思います。
子供が子供の内は自分で生きているつもりでも、両親や周囲の大人の助けが必要であることが多いです。
私もそうでしたが、そりゃーもう生意気でした。
一人では生きていけないどころか、一人では今日寝る場所さえ確保できないのに、まるで一人で生きているかのような顔をしていました。
むしろ、心のどこかでそれを自覚していたからこそ、イライラして親と喧嘩になることもあったのかもしれません。
しかし、そんな風に生意気をいっても守ってくれるし、支えてくれるのが家族です。
ところで、絶対なんてないという世の中ですが、それでも今のところ絶対なのが人が死ぬことです。
いつか人は死ぬし、自分の両親は自分よりも早く死ぬわけです。
そのとき、自立の準備をしていない人間は何もできません。
自立とは自分で飯が食えることだと思います。
両親がしてくれたように守りたいものを守るための力です。
両親は私が私であるだけで愛してくれるし、守ってくれるけど、世間にはそんな人一人もいません。
周囲に認めてもらうためには自分に何ができるかを示さなければいけない。
勉強というのは「何かができるようになる証明」だと思います。
でも、教育ってこの「自立」という現実を隠している側面があるように思います。
彼らは高校生、大学生から社会人になれば税金を納める立場になり、自立を促されます。
今まで子供扱いされてきたのに、急に「もう大人なんだから」「いつまで学生気分なんだ」なんて言われてしまう。
「自立」の準備をしてこなかったら、子供はそこで戸惑ってしまいます。
学校を出ても自分で立って歩いていける力が勉強と言えるでしょう。
「お金=悪」ではない
お金が汚いものっていう教育は子供にマイナスの効果を与えるのではないかと考えています。
欲をかかず、お金を欲しがってはいけないというような教育は意外と多いように見受けられます。
テレビの政治家などによる着服や賄賂の問題なんかをみても子供達は「お金」というものに対して消極的になりがちなのかもしれません。
しかし、どんなに「お金」から子供を遠ざけてみたところで、社会に出れば資本主義国の日本で生活する限り、やはり「お金」と向き合わないわけにはいけません。
もちろん「お金がすべてだ!」なんていうのは極論です。
というよりも事実ではありません。
だって現実にお金で得られないものはあるわけですし、そもそもお金が一番大事な人はお金を使うことができないはずです。
でも、「お金なんて大した問題じゃない!」というのも逆の意味で極論です。
これも事実とは異なります。
だってお金で得られるものは多くありますから。
それはもしかした自由な時間かもしれないし、やりがいかもしれないし、いろいろです。
夢や希望だけ伝えるのは子供を追い込む
大人はつい子供達に「夢」「希望」という言葉を使ってしまいます。
子供の時から悲観的に物事を捉える必要は全くありませんし、夢を叶えるチャンスが子供の時の方が多いのは事実だと思います。
でも、現実をしっかりと見据え、それを伝えていくことが必要な場面があります。
「才能なんて関係ない」「夢は絶対に叶う」など、そういうことばかり伝えても、現実とのギャップに悩まされてしまうことになります。
「才能は関係ある」し「夢は絶対に叶うとは限らない」のが現実ですから。
ただ、その現実を踏まえた上で自分の考えを伝えることはできるはずです。
「才能は関係しているけど、努力は続けないといけない」とか「夢は絶対に叶うとは限らないけどできる限り頑張ってみろ」とか。
夢や希望という言葉を使って、子供の質問を煙に巻くことをせず、現実を踏まえた上で自分の意見を伝えれば、子供は自分で解釈をします。
最後に、最近特に思うこと
ひと昔まえ、ユーチューブの広告でよく「好きなことで生きていく」というフレーズを耳にしました。
なんかこれって強迫的だなと思うんです。
よく、「ゲームが好きなの?なら勉強してゲーム作ってみたら?」みたいな進路相談ってあります。
昔働いていた塾でも耳にしました。
でもゲームやるのが好きな人が必ずしも作ることが好きとは限らないし、ゲームのために勉強できないならその「好き」はその程度ってことでしょとなってしまったら、とても可哀想です。
好きなこととの向き合い方ってなんでも良いわけです。
もちろん好きなことをそのまま仕事にしても良いですけど、別の仕事のかたわら休日に楽しんでも良い。
それはどっちも大事なことで、どちらがすごいとかそういう話ではありません。
ゲーム好きなら、買いたいゲームができるようにお給料が高い仕事につくとか、休みをしっかり確保できる仕事につくとか、そういう方法もあります。
私は悲観的であれと思っているわけではありません。
現実を伝え、その上で子供に答えることが必要なのではないかと考えています。
また、なんで勉強しなきゃいけないの?に対する正解を私は知りません。
あくまで私はこう答えるということです。
学力を子どもにしっかりとつけてもらい、子供達が将来自立して生活するためのお手伝いができれば良いなと思います。
読んでいただいてありがとうございました!