地方では、中学受験が盛んではありません。
また、地方は高校進学の際、公立志向が強い傾向があり、私立の中学受験をする子供はあまり多くありません。
首都圏では、隣のクラスの子供が難関中学を受験したり、昔からの友達が中学受験で別の所に進学したりと、小学生のうちから「受験」を考える機会が地方と比べて、圧倒的に多いと言えます。
実際に受験をするかどうかに関わらず、勉強で進学するということが、身近にあります。
地方の子供達は、小学生の時までほとんど競争に晒されず、自らの偏差値や学力を知らないまま中学生になりますが、そこから急に勉強の内容は複雑になり、テストや受験という競争に向き合わなければなりません。
そんな彼らにとって定期テストは、初めて客観的な数字を用いて、自分の成績を他者と比べ勝ち負けを決める機会と言えるでしょう。
実際に数字が出ますから、反論もできません。
そこで思ったような点数が取れなかった時、人と比べて「勉強ができていない」ことを受け入れることは簡単なことではありません。
人によっては自分の点数を隠したり、言い訳をしたり、嘘をついたり、勉強から目を背けたり、努力をしないことで自分を慰めたり、様々な反応がでます。
私はテスト対策の第一歩目を、「できない自分を受け入れること」においています。
点数が取れていないのには、それぞれ理由があります。
計算ミスが出てしまう。範囲の勉強を終えていない。覚え方が足りなくて曖昧。
これらの分析を始めるには、「今取れていない点数がある」という認識をする必要があると考えています。
「今回点数が取れなかったのはうっかりミスにせいで、本当は取れたんだ!」と考えていたら、できていないものに目を向けることは難しいですよね。
いくら指摘しても、でも、でも、でもと言い訳をしたくなってしまいます。
だから、点数が取れていないのにカッコつけることを塾では許さないです。
当塾では定期テストが終わるごとに生徒面談を行います。
この面談では少し厳しいことを伝えることもあります。
生徒によって志望校や勉強に対する価値が違うため、点数の高低だけで伝えることを判断するのではなく、前回との比較や今回の定期テストに対する向き合い方などを参考に話をします。
400点でも失敗と判断するときもあるし、250点でも成功と判断できるときもあります。
どちらにしても、できない自分をしっかり見つめて、できないものをあぶり出し、できるようにするという流れは、その後の学習に大きな効果をもたらします。
課題→分析→対策によって、目標を達成できるという実感を得られるためです。
これからどうやれば成果を出すことができるかを認識できるようになります。
私には苦い経験があります。
まだこの塾を作る前、アルバイトで塾に勤めていた時、教室の中でも学力の高い生徒が集められたクラスでの話です。
Aくんはクラスの2番手か3番手くらいの学力を持っている生徒でした。
志望校は関東で国立を除けば、これ以上高くしようがないくらい高いものでした。
クラスの1番手の生徒のポテンシャルは高く、彼は結果的に早慶系列の高校をほぼ全合格でしたが、Aくんは目標として1つ合格できれば良い方といった感じです。
でもなんとか学力テストや模試では1番手の彼に付かず離れずの位置につけていたのです。
ところが、受験直前期になると1番手の子と比較して、過去問の点数が伸び悩み苦戦しているようでした。
定期テストや模試と違って、難関校の過去問はそれはそれは難易度が高く、ポテンシャルの違いが如実に表れていました。
そこで事件が起こります。彼の過去問の点数がある日から急激に伸びたのです。
1番手の生徒を超えたり、合格基準点を簡単に突破していました。
その答案を嬉しそうに持ってくるのです。
問題用紙を見ると、途中式が間違っているのに答えがあっていたり、そもそも途中式がなかったりと違和感だらけの問題用紙でした。
数学だけでなく、国語や英語でも同様で、数学ほど気がつきやすくはないのですが、解説の際にAくんにあてるととても正答できているとは思えない理解度でした。(当時私は国語の担当でした)
室長も私もこれは答えを見てしまっているということにすぐ気がつきました。
Aくんは今まで何とかついていけていると思っていた1番手の生徒に直前期で突き放される現実を直視できていなかったのです。
問題はここからです。受験直前期にずっと優等生としてクラスにいた彼に本来は現実と向き合ってもらうべく話し合いの機会を設けるべきだったと思います。
しかし、話し合いの末、結果としてそのことは伝えませんでした。
それにはいろいろな要素がありました。本人の性格やご家庭の事情、時期など。
少なくとも志望校の中で1つ合格をとってくる力はあったはずでした。
結果は志望校全落ち。1つも補欠合格することすらなくAくんは受験を終えました。
彼は自分を人と比較するべきでなかったし、私は周りの意向を無視しても彼に現実を伝えるべきでした。
自分と向き合わないと、逃げたことにも気がつかないまま(あるいはその弱さに蓋をしたまま)年齢的に大人に近づきます。
私は今でも彼のその行為を責める気になりません。
誰しも弱い自分が顔を出すことがあります。
子供の時ならなおさらそうです。
少なくとも点数を取りたいモチベーションはあったのです。
その方法を間違ってしまいましたが。
あの時伝えていたらどうなっていたかは誰にもわからないし、もっとひどいことになってしまっていたのかもしれないけれど、私の塾では伝えることに決めています。
カンニングは良くないけど、何とかして点数を取りたい気持ちは大事です。
当塾ではできない自分を受け止めること大切さを伝えたいとおもいます。
一番は一人しかいなくて、いつか勝てないものと向き合う日が来るんですから。
当塾も生徒の頑張りに負けないように頑張りたいと思います。
読んでいただいてありがとうございました。